マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子が躍った

12月21日 あと4日

今日のみ言葉

ルカ1.39-45
「…私の主のお母さまが私のところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子は喜んで踊りました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

感想

エリサベトの場合、「私の主のお母さまが私のところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」と驚きの声を上げた。日本的には、「もったない、恐れ多い、ありがたい」ということになると思われる。そして、「胎内の子は喜んで踊った」。「踊った」と言えば、シマのロクチョウが思われた。嬉しくなったら踊りたくなるのは人間の共通の習性かと思われる。しかし、ミサになると、救い主の誕生を祝うクリスマスとなると最高の喜びなので、会衆が総立ちになって喜び踊ってもいいのではないかと思うが、日本ではそういうわけにはいかない。ミサはやり厳粛なのが好まれる。

それにしても、日本人信者の喜びの表現は控えめ。自分自身、聖霊刷新の人たちが手踊りするのについて行けなのはどうしてかと思う。自分自身のこだわりだとは思うが、あまり深刻に悩んだことはない。

ともあれ、日本人は、と言っていいと思うが、褒めるのが苦手な感じがする。MEのアジア会議のミサで司式しただけで、「ありがとう」と言ってくれるし、下手な英語で説教でもしようものなら、握手を求められたりする。おかげで、ボクも司式司祭に、「素敵なミサありがとう」などほめ言葉が言えるようになった。

賛美は「ほめたたえること」と手元の辞書にはある。ただ、神様をほめたたえる文化が日本にあったかどうか知らないが、人間的な言葉で神様をほめたてることは、ばかられるような感じもする。「神様を賛美します」というのはやり典礼用語と言えるかもしれない。「神様、あなたはやっぱりすごい!」ぐらいまでなら言えそうだが。いずれにしろ、もうすぐご降誕祭。生活の匂いのする神様への褒め言葉を探したい。
もうすぐクリスマス


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