網を打ち、網の手入れをしている兄弟を呼ばれた主の真意は何だったのか

今日のみ言葉

マルコ1.14-20
「・・・イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは『私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。・・・」

感想

仕事中の二人を呼ばれた。いや、同じ漁師仲間のヤコブとヨハネの兄弟が舟で網の手入れをしているにもかかわらず、彼らをも呼ばれた。もっと驚くのは、この4人が、網を捨て、父親と雇い人を置いてすぐについて行ったことだ。働き手を失った父親や家族は引き留めたりはしなかったのだろうか。

「何事にも時がある」(コヘレト3.1)というみ言葉を知っていたので、素直に従ったのか。それも確証はない。いずれにしても、思い出したのは「啐啄そったく同時」。啐は雛が殻を破って出ようとして鳴く声で啄は親鳥が外か突っつく音。イエス様の招きの言葉と彼らの思いが一つになって新たな世界に飛び立つことになった。これが召し出しの神秘。

今日から典礼は年間。イエス様の日常生活をなぞるように進む。御父と御子の啐啄同時。御子と私たちの啐啄同時。さらに、私たちと身近な人々との啐啄同時。これが、信者の日常生活でめざして欲しい、主からの呼びかけ。
ワット神父さんの実家の庭先で

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