教会が本当に愛の宗教となるために避けて通れないキリストの十字架

復活徹夜祭の典礼より

使徒パウロのローマ人への手紙6章5節
今は亡き美島神父さんの遺品
「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」

(長い)ひと言

キリスト教は愛の宗教と言われるが、キリストの十字架(不本意なこと・好きになれない人・誤解・非難などなど)を甘受することなしに、愛の人にはなれない。十字架上の主の最後の言葉は「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ24,34)だった。そんな主にあやかることなしに私の復活はない。

復活の主からの祝福がみなさんの上に豊かにありますように!

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