「愛しなさい」という掟は分かりきっていることながらハンパない

今日のみことば

ヨハネ15・9⁻11「…私の愛にとどまりなさい。私が父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、私の掟を守るなら、私の愛にとどまっていることになる。…」

感想

 「愛する」という言葉は美しいと思う。というのも、「愛」は「心が一杯になって行き悩む」という意味があるからだ。つまり、心が何かのとりこになってその場をスッと立ち去れない状態のこと。だから、あまりにも平易に言いすぎるかもしれないが、愛は強いこだわりの一種。
 「こだわる人」と言えば融通の利かない面倒くさい人という意味合いがあるように思うが、「こだわり」には「気にかけること」(精選版日本国語大辞典)という意味がある。前置きが長くなったが、要するに、だから「愛する」ことは「こだわりの一種」と言えるのではないか。で、「…私の愛にとどまりなさい」と言うのは「私にこだわってほしい」ということになる。
 しかし、人間誰もがこだわりがあるものだ。自分の習慣や決まり事など簡単に譲れるものではない。譲れないばかりにいろいろのトラブルも発生する。
 イエス様はそのことよくご存じだったので、「もっと私にこだわってほしい」と願われた。だから、イエス様のことをもっと気にかけながら今日も歩んで行きたい。
エニシダの花と聖母(ザビエル聖書の庭)

 
 

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