今捕った魚を何匹か持ってきなさい。宣教の実りを持ってきなさいという意味だと解説する人もいるが・・・

今日のみことば

ヨハネ21、1-14 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今捕った魚を何匹か持ってきなさい」と言われた。

感想

 ガリラヤ湖畔での復活の主のご出現の一節だが、あの不思議なすなどりの話は興味深い。イエス様は素手で魚を捕まえ、石をパンに変えて弟子たちの朝食とされた?弟子たちの人数分なかったので魚を追加されたかった?5千人にパンをくださったイエス様なら7,8人の弟子たちのお腹を満たすことなどわけないことではないか?153匹という具体的な数字でヨハネが意図したことは?などなど、聖書学者たちにとっても明快な答えは出せないのだという。
 そんな中で、魚を数匹要求されたのは「宣教の実りを要求されたのではないか」という指摘はうがちすぎた解釈のようで個人的にはなじまない。「後で考えてみるとそういうことをイエス様はおっしゃりたかったのかもしれない」ということはあると思う。
 単純に、最初の出会いの場でご自分の復活の喜びを共有したかった。家出同然で働き手を失った、家族たちに直接朗報を届けることができる。しかし、すぐまた家族をおいて宣教の旅に出なければならない。しかし、今度は「福音宣教」という目的がはっきりしている。家族もイエス様のメッセージを受け取って信者になっている。神の国のよき知らせがこのガリラヤの片田舎から世界に向かって発信されようとしている。その担い手がワシらの息子たち。今は、むしろ誇りにさえ思えるようになった。
 勝手な想像だが、これがガリラヤでのご出現の意味だった?
聖堂横のバラの聖母

 
 

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