「一人も失わない」という力強い主の約束は大きな希望ではあるが・・・
今日のみことば
ヨハネ6,37・39 「父が私にお与えになる人は皆私のところに来る。私の元に来る人を私は決して追い出さない。・・・私をお遣わしになった方のみこころとは、私にお与えなった人を一人も失わないで・・・」
感想
「決して追い出さない」とか「一人も失わない・・・」というイエス様の力強い約束に疑念を抱かざるを得ない状況がある。教会を長いこと離れたままでついに帰ることもなかった人の最後はどうなる?地獄に行った?あるいは煉獄?もしそうなら、放蕩息子を迎えた父親として紹介された御父の姿は幻?それに十字架上で回心した盗賊に「今日私と一緒に楽園にいる」という約束は気休め?
個人的には、聖書のメッセージを心底信じたい。教会は宗教改革など苦難を乗り越えてくる中で時代に応じた指導を強いられた。そのため、聖書の単純なわかりやすい教えを神学によって複雑にしてしまったのだと思う。