時を重ねれば重ねるほどイエス様の話はスッとこないのは何故か?
今日のみことば
ヨハネ16・23a-28「はっきり言っておく。・・・私はこれらのことをたとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたは・・・」
感想
「その日には」が問題。普段の用法と少し違う意味合いのあることばだ。「今日がその日」という短い英文のポスターを見たのは30数年前のこと。「え?いつのことですか?」という質問を期待していないことはすぐに分かった。「今日が神様が働かれる日です」みたいな意味だと思うが、ヨハネが使う「その日には」も同じ意味。
つまり、弟子たちに聖霊が送られて全てを明らかにする時が来る。そのときになれば、と言いたい。しかし、弟子たちでなくても、聖霊降臨から2000年経った今を生きる私たちにとっても、イエス様のおっしゃることでよく分からないことは多い。
いや、日頃関わっている人々との間においても、相手の気持ちが読めなくてギクシャクしてしまうことは多い。話が通じなくてもどかしく思うことも多い。
そんなこんなで、誰とでもスッキリした人間関係を築いていきたいというのは夢のまた夢。しかし、そこで終わらないのがキリスト信者。いつになるか分からないが、一人一人に「その日」が約束されているのは間違いない。そう思い直して波立つ心を収めながらイエス様へのギリを果たそうとけなげに生きているのが信者。今日も神様が働いて下さるからそれができる。今日がその日。
近くの土手で満開のアメリカデイゴ(海紅豆)
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