時間の流れを無視したヨハネは誰よりも主との思い出の中に生きた。

今日のみことば

ヨハネ19‣25‐34「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。…」

感想

 1997年の秋、エルサレムにあるカルメル会(だったと思う)の聖書研究所に行く機会があった。「マリア様は十字架のもとにいなかった。」高名な聖書学者だという司祭の断定的な言葉に一同唖然とした。すかさず誰かが声を上げた。「じゃ、どこにいたんですか?」「ナザレにいました。」確信に満ちたひと言に一同絶句したものだ。
 その理由には説得力があった。同じ場面の記事はマタイ、マルコ、ルカにもあるがマリア様への言及はない。マタイ27・56「その中にはマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」マルコ15・40「その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセフの母マリア、そしてサロメがいた。」ルカ23・49「ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立ってこれらのことを見ていた。」
 なるほどと思う。そういわれてみれば、マリア様と追っかけのおばさんたちを一緒にしてほしくないとは思う。個人的には学者神父さんの見解に賛成。これについては、いつかも書いたと思うので今日は割愛したい。
 ともあれ、ヨハネはなぜ他の福音史家が書かないことを書いたのか。もちろん不明だが、イエス様に対する特別の友情に基づいて発想豊かに記したのかもしれない。今日は、「教会の母聖マリア」を記念する日。その典拠となったのが上記の福音の記事。
園庭奥の聖母


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