静かで地味な信仰生活にこそ神は働かれると言われているようだが

今日のみことば

マタイ6・1-6,16-18「見てもらおうとして人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あんたがたの天の父の元で報いをいただけないことになる。・・・あなた方の施しを人目につかせないためである。・・・あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。・・・そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる。」

感想

 今日のキーワード。「人目につかない信仰。」「隠れて祈る。」なんとなく日本人向きのことばだ。ボクとしても、イエス様に勧められるまでもなくそうしているように思う。しかし、「隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる」からそうすると言うより、単に弱気なだけだが。
 ともあれ、神様は静かなのがお好き。当時の指導者たちの大げさな信仰表現は、イエス様から見れば、騒々しいだけで信仰の臭いはしなかった。なぜか、祈りは神様が働かれるのを静かに待つことなのに、いかにも声や身振りの大きさがものをいうかのようにみえたからではなかったのか。心したい。
今日、立正佼成会の教会で

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