足元のパワハラ、セクハラで今なお心痛の絶えない主のみこころを思う日

今日のみことば

ルカ15・3-7「あなた方の中に百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、見つけたらその羊を喜んで担いで家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』というであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪びとについては、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

感想

 少なくとも自分にとっては、「この話は美しい」で終わることが多い。あるいは、「そんな風に心にかけてくださる方がおられるから後のことはお任せ」と安心してしまうこともある。
 なによりも、若い頃はともかく、今となっては「自分は迷える子羊」と実感したことはない。むしろ、人の回心を願う立場に立っているのが現実。そして、報われないまま、祈りながら待つ毎日だ。だから、「後のことはお任せ」となる。
 身内のことを言えば、並みいる23名の甥姪のうち、奥さんや旦那を信仰に導いたのは2人だけ。あとは信仰があるのかどうなのかも定かではない状態。それでも喜びは大きい。
 そういう意味では、「たまにある喜びへの期待」は持続したい、というのが、今日の結論。
こども菜園のトマト 収穫は多いが…


 
 

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