「あなたにとって私は誰か?」と聞かれても即答に窮してしまうが…

今日のみことば

マタイ16・13-19「イエスは…『人々は人の子を何者だと言っているか』とお尋ねになった。」弟子たちは言った。『洗礼者ヨハネだ』という人も『エリヤだ』という人もいます。ほかに、『エレミヤだとか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。イエスが言われた。『それではあなた方は私を何者だというか』…」

感想

 「私を何者だというか」と聞かれても未だに即答に窮するが、若い頃は、「何でも話せる親友」だったと思う。かつては、「即答できないといけない」みたいな思いがあったが、長い司祭生活そのものが答えになっているようにも思うので、ペトロの心境で「あなたはなにもかもご存じです。今さら…」(ヨハネ21・17)と言いたいのだが。あえて言うなら、「あの朝日みたい。」生まれたての朝日は、美しく感動的。月のように欠けることもなく、年中まん丸でみんなを照らす。やはり憧れ。
 ペトロ・パウロの祭日の今日、せめて、苦手な電話のベルにも丸く反応して過ごしたい。
お隣の屋根の上から昇る朝日

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