旧約聖書のヨセフ物語は手が込んでいて救いの技が一筋縄ではいかない証?

今日のみことば

創世記41・55-57,42‣5-7a,17-24a「そのころ、エジプト全土にも飢饉が広がり、民がファラオに食物を求めた。ファラオは『ヨセフのもとに行ってヨセフの言う通りせよ』と命じた。…イスラエルの息子たちは、他の人々に交じって穀物を買いに出かけた。…ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。ヨセフは一目で兄たちだと気づいたがそ知らぬふりをして厳しい口調で、『お前たちはどこからやって来たのか』と問いかけた。ヨセフは彼らを三日間牢獄に監禁しておいた。三日目になってヨセフは彼らに言った。『こうすればお前たちの命を助けてやろう。私は神を畏れる者だ。お前たちが本当に正直な人間だというのなら兄弟のうち一人だけを牢獄に監禁するから、ほかの者は皆、飢えているお前たちの家族のために穀物を持って帰り、末の弟をここへ連れて来い。そうして、お前たちの言い分が確かめられたら殺されはしない。』かれらは同意して互いに言った。『ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。…』するとルベンが答えた。『あの時私は、あの子に悪いことをするな、と言ったではないか。お前たちは耳を貸そうともしなかった。だから、あの子の血の報いを受けるのだ。』彼らはヨセフが聞いているのを知らなかった。ヨセフと兄弟たちの間に通訳がいたからである。ヨセフは彼らから遠ざかって泣いた。

感想

 聖書の中の数ある物語の中で、ボクにとって最も感動的な場面だ。それにしても、救いの歴史は込み入っていて回りくどい。もっとスッといかないものかとも思うが、考えてみると、人一人の歴史を見ても、山あり谷ありのジグザグコースだ。
 イスラエルが体験した救いの歴史は、スケールの違いは比較にならないとしても、ボク自身の歴史そのものとも言える。というよりも、旧約の歴史はボクにとって他山の石的な意味を持っている。旧約を眺め、そして我が身を振り返る。そうして見えてくる神様の計らいを学びながら生きているように思うからだ。
歌うノビタキ190709

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