信仰の原点を出エジプトに求め徹底して「自らのこだわりからの解放」を追求するのがコツ

今日のみことば

出エジプト記3・1‐6、9-12「モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追っていき、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主のみ使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに柴は燃え尽きない。・・・
…神は続けて言われた。『私はあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。主は言われた。『…行きなさい、私はあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。』・・・」

感想

 また勉強否定の話になるが、大事にしてほしいのは出エジプトのメッセージ。信仰の最大の関心事は「こだわりからの解放」でなければならない。知識にこだわり、経験にこだわり頭も心も固くしてしまうのが怖い。
 人間関係を壊すのはこだわり。対立を生むのもこだわり。こだわりこそが足元の平和を壊す。「義母は熱心な仏教徒。だから、今はミサに行きません。家庭が壊れるといけないから。」悪びれることなくきっぱり。しかし、彼女の心は間違いなく信者だった。
 自分のこころは自由か?どんなことにこだわっているか?そんな自分探しは一生しなければならない。信仰を細らせないために。あ、もう一つ「思い込み」も問題。先日、先生たちが演じたお誕生会での「ネズミの婿探し」の人形劇は示唆に富んでいた。
ネズミの婿探し 一番偉いのは太陽かと思ったら…

 

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