百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶとはどういう意味?実感はわかないが…

今日のみことば

マタイ13・18-23「種をまく人のたとえを聞きなさい。誰でも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪いものが来て、心の中にまかれたものを奪い取る。道端にまかれたものとはこういう人である。石だらけのところにまかれたものとは、御言葉を聞いてすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないのでしばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こるとすぐに躓いてしまう人である。いばらの中にまかれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで実らない人である。よい土地にまかれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

感想

 道端、石だらけ、いばらの土地。それぞれ実りをもたらすことはない。しかし、これは私たち自身の現実の姿。
 いかに恵みの取りこぼしが多いことか。気分によって不機嫌になる自分、心を閉ざし人を締め出す自分、思い通りにいかないことでイライラする自分。
 しかし、間違いなく実りをもたらす自分もある。素直にうなづくとき、前向きな気持ちで誰かを受け入れるとき、人々に喜びと希望をもたらすとき。神様が喜んでくださることは間違いない。そして、「よくやった!」とほめてくださるのだ。そして、さらに励むように祝福を送られる。信者にとってこれ以上の喜びはない。実を結ぶとはこういうことではないのか。
前園長への教皇祝福授与式

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