「知らなかった」とヤコブが言うことと「眠っている」のは同じこと

今日のみことば

創世記28・10‐22「ヤコブはべエル・シェバを立ってハランへ向かった。と、ある場所に来た時、日が沈んだのでそこで一夜を過ごすことにした。…すると彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向って伸びており、しかも、神の使いたちがそれを上ったり下りたりしていた。見よ、主が傍らに立って言われた。『…私は、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。』ヤコブは眠りから覚めていった。『まことに主がこの場所におられるのに私は知らなかった。』…」
マタイ9・18‐26「その時イエスが話しておられるとる指導者がそばに来てひれ伏していった。『私の娘がたった今死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば生き返るでしょう。』…イエスは指導者の家に行き、…言われた。『…少女は死んだのではない。眠っているのだ。』…」

感想

 「知らなかった」というのは「気が付かなかった」ぐらいの意味かと思う。ヤコブほどの神秘体験はないとしても、「全く気が付かなかった」体験ならよくあることだ。しかし、「気が利かない!」批判されることもある。そうでなくても、そんな人を見ると口に出さなくてもイライラすることはある。
 また、指導者の娘のような奇跡に遭遇したこともないが、気が付かないとことと眠っている状態は比ゆ的には同じようなこと。つまり、感性が鈍っているのはいわば五感が眠っているようなものだという意味で。
 「気が利かない」、「何度言っても分かってくれない」、などなどに遭遇したら、「眠っているのだから起きるまで待とう」と気長に待てる自分になりたい。
やっと色づき始めた子どもたちのミニトマト

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