神殿に誓うのと、言い訳するのとでは基本的には誠実さに反するので✖

今日のみ言葉

マタイ23・13-21

感想

 神殿にかけて誓うのは無効だが、奉納物の黄金などにかけて誓うのは有効。祭壇そのものにかけての誓いは無効だが、祭壇に捧げられたものにかけて誓えば有効。
 当時のユダヤ教の末期症状をイエスは激しく批判された。誓いの習慣のない私たちにとっても本末転倒だと分かる。そういって、冷笑したくもなるが、自分を正当化するために、あの手この手を弄したくなるのは洋の東西を問わず、時空を超えた人間の悲しさ。
 「道が混んでいたもので遅くなりました」はダントツ多い?言い訳。信仰とは関係なさそうなこの言い訳こそ問題。信仰の基本は、ありのままを認めることだからだ。神の前に言い訳は無用。第一、言い訳は、人(状況)のせいにすることで、自分を正当化しようとすることなので誠実な姿とはいいがたい。
 人間関係にしろ、神との関係にしろ基本は「言い訳をしない。」努力する価値はある。今日も誠実な一日にしたい。
野の花は踏まれてもきれいに咲く誠実の鑑

 

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