キチンとしていることにも落とし穴がある。それが、こだわりだとしたら…

今日のみ言葉

マタイ23・23-26

感想

 律法学者やファリサイ派の人々はキチンとしている人たちだった。十分の一税はキチンと納めるし、身なりもキチンとしているし、きれい好きだった。
 イエスさまは、そんな彼らを評価しないどころか、「不幸だ。何にも分かっちゃいない。正義、慈悲、誠実さのかけらもない」と切って捨てる。「強欲と放縦に満ちている」とも。
 私たちは、これほどの非難を受けるほど「目が見えない」とは思っていない。一応自分の状態は分かっていると思っている。ただ、何かにこだわって生きているのも確かだが、それとて、非難されるほど異常なこととは思えない。
 こだわりというのは、あっさり手放せないもの。あっさり手放せないほど、大事なものもあるとは思うが、マリア様の「あ、分かりました‐なれかし‐」は、究極の「あっさり」。信仰の原風景とすべきは”あっさり”。肝に銘じたいと思う。
 今日は、聖モニカの記念日。息子アウグスチヌスが回心してカトリック信者になるように祈り続けて40年。聖なるこだわりの勝利。
トンボが湯気の立つ川面を行ったり来たり(要拡大)

 
 

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