神様の忍耐にあやかる毎日を神様ご自身はどうご覧になるのか

今日のみ言葉

ロマ3・21-30a
・・・神は忍耐してこられた・・・

感想

”神様の忍耐”というテーマはパウロには実感としてあったと思われる。キリスト教徒迫害の先頭に立っていたのだから。「自分は正しいことをしている」というのは単なる思い込みでしかなかった」と気付くまでの神様の忍耐。「自分が、目が覚めるまで、神様は待ったおられた」というパウロの気持ちが伝わるような箇所だ。

パウロほど、ひどいことをしてきたとは思わないが、それでも人にも神様にも忍耐を強いてきたことは間違いない。若い頃を思うと、“正義の味方”とばかりに怒りの日々だった。今も、国の施策には怒りを覚えることはあるが、一番身近な教会に対してはおかげでなんとか穏やかになれるこの頃だが。

逆に、忍耐を強いられる現実は毎日だ。神さまの忍耐に比べたら取るに足りないとはいえ、それなりにタイヘン。これまでの穴埋めとして耐えるだけかもしれないが。そのことで、もっと穏やかに寛大になれたらいいとは思う。
なぜか、隙間が・・・これも忍耐するか


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