分裂をもたらすために来たイエス様の真意は”ありのままの自分と出会うこと”

今日のみ言葉

ルカ12・49-53
「…わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。…」

感想

”平和ではなく分裂をもたらすために来た”と言われる主の真意はどこにあるのか。主を選ぶ人と選ばない人の差は大きい。その差は家庭の中でも起こる。特に日本では一人信者が多い。なるほど、「この現実を指しておられるのか」という理解では意味がない。信仰生活の落とし穴はこうした「理解だけで終わること。」

信仰は理解するという”頭の体操”ではない。回心こそがいのち。回心なしの信仰は「死んだもの」(ヤコブ2・17)で無意味。

ここで言われている分裂は「不仲になって分裂する」人間関係の破綻を意味しているだけではない。

ありのままの自分、と言われても、ピンとこない人は多い。つまり自分自身がよく見えていない人は多い。もっと言えば、自分自身と出会っている人は多くない。よく言われるように、自分のことはよく分からないという現実がある。それが問題。

一番大きな問題は、「ねばならない」「すべき、すべきでない」などの発想が癖になっているとき、人は、周りとの協調が難しくなる。自分の考えに固執し、聞く耳を持たず、相手をさばき、おおらかさに欠けるので周りの人をも窮屈にしてしまう。そんな愛に反する生き方をしている自分に気づかない信者は多い。

そんな生き方に決別するように促しているのが今日のみ言葉。
お祈り先唱



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