信者の捨て台詞が「勝手にしやがれ!」ではないとすれば?

今日のみ言葉

ネヘミヤ記8・1-4a,5-6,7a-12
ルカ10・1-12

感想

宣教に派遣された弟子たちのメッセージは「主の平和があるように」だった。拒まれたら「足の塵を払って」退散するだけ。捨て台詞は「主の平和があるように」。ここまで書いて思い出した話がある。先月30日の諸宗教懇和会の講演で聞いた話で「常不軽(じょうふきょう)菩薩の精神」。つまり「誰もが菩薩になれる」という思想。それにはこんな逸話がある。

ある村に、「私はあなたを決して軽んじません(常不軽(じょうふきょう)」と同じことを繰り返す修行僧が現れた。「うるさい」と言われようが、「あっち行け」と追い立てられようが、同じことを大きな声で繰り返すので、村人はとうとう我慢できなくて「そんなことワシらにはどうでもいいことだ」と言って追い出した。彼の最後の言葉はやはり、「私はあなたを決して軽んじません」だったという。自分を追い出す人々も菩薩になれると信じていたからだ。その後人々は彼のことを「常不軽(じょうふきょう)菩薩」と呼ぶようになった。

ところで、「みんな神様の子ども」であると信じているなら、どんな状況に立たされても、腹立たしい状況に立たされようが、最後に、信者の口から出る言葉は「主の平和」以外にない。「常不軽(じょうふきょう)信者」を目指そう。
満開のボウズバナ




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信仰の質を高めるコツ----大文字の私と小文字の私を使い分ける

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