主の嘆きの深さは、一番身近な人々に受け入れてもらえなかったこと

今日のみ言葉

アシジのフランシスコの記念日
 バルク1・15a-22
 ルカ10・13-16

感想

あーコラジン、あーベトサイダ、あーカファルナウム!いずれも、ガリラヤ湖北部の町で、カファルナウムはイエス様が居を定めたところで、ベトサイダはペトロやアンドレの故郷。文字通り、預言者故郷に入れられず。イエス様の嘆きとは比べようもないのだが、わが故郷の人口は6000人で当時とさして変わらないとしても、教会は高齢化が進み先細り状態。出るのはため息ばかり?「あーっ!」

ところで、主のため息に弟子たちは慰めの言葉も見つからないまま、頼りなげに顔を見合わすだけだった。そんな様子が浮かぶのだが、さて、ごたごたの絶えない私たちの現実を見て主はやはり、ため息をつかれるのだろうか。そうかもしれない。死と復活という神秘を示されたにもかかわらず、いまだにその信仰を生活化しきれていない現実は、きっとため息ものだと思う。

教会にしろ、幼稚園にしろ、大人が作る集団に問題は尽きない。問題は新しい始まり。そんな信仰が試される毎日だ。そんなこんなで、一日が終わりかけたころになって、”今日もまた思いを新たに”。それだけに、充実感はあるのだが…。どうせなら、もっと楽に感じたいとは思う。
教会の2倍2倍は夢のまた夢

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信仰の質を高めるコツ----大文字の私と小文字の私を使い分ける