少し大げさだが、神の主権を忘れるとき自分を不自由にする

今日のみ言葉

ルカ17・1-6
「つまずきは避けられない。・・・一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めますと言ってあなたのところに来るなら許してやりなさい。・・・辛し種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に『抜け出して海に根を下ろせ』といっても言うことを聞くであろう。」

感想

「一日に七回も罪を犯した人が、その度に「ごめんなさい」と言ったら許してやりなさい」と言われて、弟子たちが、思わず叫んだ。「エ~!そんなこととてもできません!あ、いや信仰を増して下さい。そうすればできるでしょう」みたいな雰囲気だったに違いない。そんな弟子たちへの言葉が、「辛子だね一粒ほどの信仰があれば、・・・」しかし、弟子たちは更にビックリして、「桑の木が海に移る?!」とますます困惑したのではないかと思われるのだが。

無制限の赦しという場合、自分も神様から無制限に許されて今があることを思う必要がある。同時に、全てを可能にする神への信仰が問われる。無からの創造を思いながら、思うようにかないことに対しては「神の支配」に委ねる発想の転換こそが信者らしい。そしたら、肩の力が抜ける。そして、楽になって問題視している「その人」に「ま、いいか」という気持ちになった。神の支配、神の主権。今日の合い言葉。
良く見渡してチャンスをうかがうダイサギ



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