「取るに足りない僕」感が小教区の平和を作ると信じる。頭でなく体で。

今日の聖人

教会一致のために貢献したスラブの人聖ヨサファト司教殉教者

今日のみ言葉

ルカ17・7-10
「・・・命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなた方も同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『私どもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

感想

今日のみ言葉は、「一日七回でも許すように」と言われた弟子たちが、口あんぐり、思わずフリーズした後の話。連続性があるかどうか分からないが、「取るに足りない僕」意識を持つことが求められていることでは昨日と同じ。「自分がなにものか」の意識が強いと、自分に罪を犯した人が謝っても、すぐに「ウン」とは言えない。同じように、「アレも私がした、コレも私が・・・」との思いが強いならイエスの弟子とは言えない。

神の支配のもとでは、誰もが、「取るに足りない僕」。特に、教会内における人間関係の些細なゴタゴタの原因は自分がトンガって「取るに足りない僕」感が希薄だから。 心したいと思いと思う。
いかにも自信ありげなウのリーダー


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