「なれかし」こそ、信者が教会の一員であり続けるための必須条件

無原罪の聖母マリア 祭日

今日のみ言葉

ルカ1・26-38 お告げ

感想

15日のクリスマス会に向けて子供たちが準備に明け暮れている。特に、年長さんの聖劇は気合が入って、演技にも少しオーバーアクション気味。少しセーブしてもらったほど。そんな中、インフルエンザにかかる子が続出。マリア様もやられたらしい。代役が効かないだけに何とか全快してほしい。

ところで、無原罪の聖マリアは聖書にないだけにそれらしい聖書の箇所もない。そこは聖書と聖伝という2本立ての強み。「ピオ9世は、1854年12月8日に『聖マリアの無原罪の宿り』を信仰箇条とした」(女子パウロ会HPより)。そして、4年後の「1858年3月25日には、フランスのルルドで少女ベルナデッタに聖マリアが現われ『私は原罪がなくして宿ったものであると言われた」(同上)。

今日の典礼の解説に次のようにある。「無原罪の宿りにおいても、マリアは、しみもしわも汚れもない聖なる教会(エフェソ5・27)の前表である。」教会は聖なる主が創設されたものだから、本来「聖なるもの」。しかも、神の子を生み出す道具という点では母である聖母に通じる。聖母が神の母となったのは、生涯を貫いた「なれかし」の一言による。信者が、「しみもしわも汚れもない聖なる教会」の一員であり続ける条件は、聖母と共に「なれかし」を生きること。今日も聖母と共に歩みたい。

一日ずれたが、8日は、第二次大戦がはじまった悲劇の始まりでもある。アフガンの聖者中村医師が殉職し悲しい帰国を余儀なくされた。慈しみの御父が、異国のために身命を賭して奉仕された尊い人生に存分にお報いくださるよう祈りたい。合わせて、世界平和のため聖母のとりなしを祈りたい。
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