群衆を避けて一人祈られた主は今も私たちのために祈っておられる

降誕節金曜日 1月10日

今日のみ言葉

ルカ5.12-16 「・・・全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります』と願った。・・・『よろしい。清くなれ』・・・大勢の群衆が、・・・集まってきた。だが、イエスは人里離れたところに退いて祈っておられた。」

感想

普通の人間関係を絶たれていた人が、晴れてみんなの仲間入りができる歴史的な出来事を一緒に喜ぶこともなく、そっと身をひく主の思いを知りたいと思う。なんとなく嫌みな感じがするからだ。ボクなら、「良かった、良かった」と喜び合うところだ。

「だれにも話してはいけない」と口止めされた理由もよく分からないが、イエス様のミッションは、病を癒やすという地上的なものが第一ではなく、あくまで、回心。私たちが、神の子としてのまっとうな歩みを日々積み重ねることで地上に平和をもたらすために送られた。

病から解放されたことで、その人の人生が180度変わったとしても、回心して神に立ち返ることなしに主のミッションは完結しない。癒やされた人のため、また我も我もと押し寄せる大勢の群衆がそのことに気づいてくれるように祈らざるを得なかった、ということか。そんな主の思いは今も変わらない。祈って下さる主と共に今日も歩みたい。
タイの空港で見かけた胡蝶蘭


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