癒されてきれいな体になった喜びは分かるが、イエスの活動の邪魔をした

今日のみ言葉

マルコ1.40-45
「さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、『御心ならば、私を清くすることがおできになります』と言った。イエスが深く憐れんで、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。『誰にも話さないように気をつけなさい。…』・・・しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それでイエスはもはや公然と町に入ることができず、・・・。」

感想

この人の喜びの大きさは想像に余りある。神学生の頃、敬愛園で会った患者さんのすさまじかったこと。初めて見る病のひどさにショックを受けたものだ。もっとも今では、完治しているが。今朝の人は、皮膚も顔も元通りに戻った我が身を見て驚喜したに違いない。イエス様の注意など耳に入らないほどだったもようだ。おかげで、イエス様の宣教活動に支障をきたすこととなった。

体はきれいになったが、イエス様とつながったかは不明。「祭司に見せなさい。祭司の証明によってはじめて社会復帰も可能となるから」というイエス様の心遣いも無駄になった?これは悲劇。もっとも、後で祭司に見せに行くことになったとは思うが。ともあれ、この人も、イエス様の宣教活動を邪魔することになったことに気付くべきだったがそれどころではなかったのだから仕方ない。

私たちの場合も、心したいところだ。誰かの迷惑になっていると気がつかない限り自分の行為や言葉を改めることは難しい。ネットの書き込みで人権を侵害された女性が、誹謗中傷を繰り返す投稿者を3年余りもかけてついに特定した。法律の制定に向けて運動を起こしていると、今朝のニュースで知った。悪意は排除されなければならない。

小教区内の清めも必要だと思うことはある。それが何かは当事者も分からないのが悩ましい。「御心ならば、私を清くすることがおできになります。」
菜の花マラソンに花を添えて使命を終えた

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