信仰生活は連想ゲーム感覚で腕を上げることできる

今日のみ言葉

マルコ3.22-30
「・・・人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜するものは永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。・・・。」

感想

「聖霊を冒涜する」というのは、イエス様のことを冒涜するという意味らしいが、私たちには経験のないことなのでどう理解したらいいか困る。ただ、聖霊、息吹き、空気は同じ言葉が使われているらしい。そうすると、命の息を吹きかけられて人は生きる者となった(創2‣7)とあるので、私たちも神の息吹きを受けて生きた信仰者になる。

自分にこだわるひと、人の言うことに耳を貸そうとしない人は要注意ということになる。つまり、気ままに吹く風のように、聖霊はつかみどころがないような動きをするから、自分にこだわっていたら聖霊の働きを取り逃す可能性が高い。すると、信仰者として空回りすることになる。信仰生活とは、連想ゲームみたいなものなので、今日も、心の耳と心の目をしっかり開き、信仰の嗅覚を敏感にしていたい。
どこに、何のため?


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