あなたがたは、自分の量る秤で量り与えられるとは?

今日のみ言葉

マルコ4.21-25
「・・・何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、さらにたくさん与えられる。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。」

感想

子供ころ、しょうゆもお酒も量り売りだった。隣村の店の伯父さんは若いころ大学の野球部にいたと聞いていた。店の番をしながら野球の実況放送を聴くのが楽しみで、焼酎をマスに注ぎながら実況に夢中になるあまり、よく注ぎ過ぎるというので評判だった。

註解書によると、量り目をよくして売る人の善意が問われているということだった。なるほど、あの野球好きの伯父さんでなくても、寛大でけちけちしない太っ腹の人だったら、誰でも買いに行きたくなる。みんなが買いに行くので、30倍、60倍、いや100倍にもなって繁盛することになる。逆に、ケチな人のところにはいきたいとは思わない。持っているものまでも失い、結局商売あがったりということになる。

個人的な思い込みで註解書の意図に反しているかもしれないが、信仰ではなく、善意が問われているというところに新鮮なものを感じた。かつて、最高の愛の業は「福音を上げること」つまり、その人に福音という宝を手にしてもらうことが、一番の愛の業だと聞いたことがある。最高の善意と言ってもいいかもしれない。善意は愛の心そのもの。信仰だ、愛だという前に、みんなの心に善意が増すことが先?
散歩中の目の前によく表れて心和ませるジョウビタキ

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