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主は、一家の働き手を同時に二人も失うことの意味を知っておられた?

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今日のみ言葉 使徒聖アンデレの祝日 マタイ4.18-22 「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。・・・二人は網を捨ててすぐに従った。・・・」 感想 いつも思うことだが、「一家の働き手を二人も失うことがどれだけの結果を招くことになるのか知っておられたはずなのに」。しかし、当時のユダヤ人たちにとってメシア待望論がちまたでも高まっていたらしいので、そんな気運にうまく乗ったと考えられなくもない。そして、この家族の中でも、きっと話題に上がっていたのかもしれない。 実際、もう一組の兄弟ヤコブとヨハネが、あるとき、「栄光をお受けになるとき、私どもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせて下さい」(マルコ10.37)と願ったことになっている。「私どもの家庭からそんなお方の弟子が出るなら願ってもないこと」と二人の両親は思ったのかもしれない。「それまでは、二人でナントカ頑張る。」 もちろん、弟子たちはいずれ、彼らが思い描いた「地上のメシア、あのダビデ王の再来」でないことを知ることになるのだが。 ともあれ、今日も、気持ちよく、「ハイ!」の気持ちで身近な人々と共に生きていきたい。一人一人の、二つ目の拝領。 日本人の心に今も響き続けている

あなたがたあは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。

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今日のみ言葉 ルカ21.29-33 「いちじくの木や、ほかの全ての木を見なさい。葉が出始めると、既に夏の近づいたことが自ずと分かる。・・・」 感想 時のしるし。一頃、はやり言葉のようにカトリック新聞でも盛んに見たものだが、最近は全く見なくなった。気候変動や環境破壊の問題と役者交代の感がある。ともあれ、「時のしるしを読む」ともよく言われていたように思うが、何か預言者めいて市井の民には少し遠い。日々の生活で、むしろ、大事なのは「空気を読む」こと。さらには、「人の気持ちが読めない」ことが、いざこざのもとになっている。季節の移り変わりを読むのは自然にできても、自分が身近な人々の中でどんな影響を及ぼしているかに気づくのは難しい。「分かってくれ!」と声を上げたくなることもある。そういう自分も、人に我慢を強いているところがあるはずだが・・・。 いずれにしろ、自分にとって、今日が、周りの人々に心地いい風、喜びをもたらす神の国の風を吹かせることができる日となるように。アーメン。 パパさまが377円

身を起こして頭を上げなさい。あなた方の解放の時が近いからだ。

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今日のみ言葉 ルカ21.20-28 エルサエム滅亡の予告 感想 エルサレムは、西暦70年、ローマ軍によって滅ぼされた。心のよりどころを失ったユダヤ人たちは各地に離散した。いわゆるディアスポラ(民族離散)。元々は、植物の種などがまき散らされたことをいうギリシャ語。 前回は迫害の話で、今回は滅亡と暗い話が続く。さすがに、私たちには縁のない話に聞こえてしょうがない。確かに、異常気象による天変地異(山火事に台風被害等)は他人ごとではないとしても、被害を免れている身としては、今日のみ言葉からくる特別な感慨はない。 そうはいっても、最後の一言に思わず立ち止まった。「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなた方の解放の時が近いからだ。」 日常生活の中で、思わずため息をつきたくなったり、大変だなあと重たい気持ちなったり、何となく心が元気でなくなったりしたとき、「それは、新しい始まり!」そう言われた感じがしたからだ。「身を起こして頭を上げること。解放の時が近いから。」下を向きたくなったら、身を起こして上を向く。具体的でいい。新しい始まり!今日の合言葉。 お会いしたいと思っていました

人々はあなた方を迫害するが、それはあなた方にとって証をする機会となる

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今日のみ言葉 ルカ21.12-19 「・・・また、私の名のために、あなた方は憎まれる。しかし、あなた方の髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなた方は命を勝ち取りなさい。」 感想 当時のような血を流す迫害は、少なくとも日本ではもはやない。しかし、毎日の人間関係で、大小さまざまなすれ違いは多い。ムッとすることもあれば、違いに気づくだけで済ますこともある。悔しいと思うこともある。惨めな気持ちになることだってある。猫の目のようにくるくる変わる心は興味深いと言えば興味深い。 そんな自分の生の姿を見るにつけ、情けなくなるだけなら、あなたはただの人。今朝の福音で主は言われる。「それは、・・・証をする機会となる。」そんな否定的な感情になることは自然なことだが、そんな自分に気づいて、気持ちを立て直すことができたら、少なくとも自分自身に証しをしたことになる。人知れずなされるそんな密かな証しこそが求められている。 お疲れ様でした

核兵器は、国家の安全を保証するものではないと心に刻む

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今日のみ言葉 ルカ21.5-11 神殿崩壊の予告 「・・・『あなた方はこれらのものに見とれているが、一つの石も残されずに多の石の上に残ることのない日が来る。 』・・・」 感想 弟子たちが神殿の壮大さに打たれて眺めているのをご覧になって言われたのが上記の予告。実際、70年に神殿はローマ軍によって崩壊した。 教皇の長崎でのスピーチと重なる。「軍拡競争は貴重な資源の無駄遣いで、武器はいっそう破壊的になっています。」あらゆる武器を製造し持つことは「途方もないテロ行為です。」「非核化など非現実的」と言うトランプ大統領は何と聞いただろうか。昨日の首相の言葉を聞いて、教皇は、「口ばかりではダメです。非核化条約に批准しなさい」と言いたかったのではないか。 ところで、度重なる甚大な台風被害は、もはや異常気象によるとは言えない。これはもう「危機だ」と誰かが言った。まさに終末的な感すらするのは確か。各自が、もっと本気にならないと温暖化は人類を滅ぼしてしまう。身近なところでのエコがカギ。 非核化を世界に発信

確かに言っておくが、この貧しいやもめは、誰よりも沢山入れた

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今日のみ言葉 ルカ21.1-4 やもめの献金 感想 見るとはなしに見ていると、明らかにやもめと分かる貧しい身なりの女性が賽銭箱にお金を入れた。「レプトン銅貨二枚」は2円ほど。「誰よりも沢山入れた」と言われた。やもめの思いは知るよしもないが、それに、有り金をみんなはたくのもどうかとも思うが、奉仕にしろ、何にしろ「惜しまない」気持ちは大事かと思う。 フランシスコ教皇が、千人あまりの貧しい人々を食事に招いたことが報道されていた。「一人当りいくら?」思わず計算したくなったが、アレはいわばバチカンの国家事業。誰も「無駄遣い」とは思わない。 毎日の生活で、時間を惜しむ、関わりを惜しむ、親切な言葉を惜しむ、などなど。ケチな自分を認めざるを得ない。フランシスコ教皇のように、どんなことも、アレコレ考えずにスッとできたらいいのにと思う。今日もそんな惜しむ自分と直面して自分を超えられたらいいのだが。 テレビが宣教してくれた

神は死んだ者の神ではなく生きている者の神なのだ

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今日のみ言葉 ルカ20.27-40 「・・・神は死んだ者の神ではなく生きている者の神なのだ。・・・」 感想 当時のユダヤ人は、サドカイ派以外、復活を信じていた。そのサドカイ派の質問が、いわゆるレビラート婚。子孫を残すことが重要なことだったので、7人兄弟がいたとして、長男が子なしで死んだら、次男が同じ人を妻にしなければならないという決まりがあった。こうして、7人とも子なしで死に、ついに奥さんも亡くなったとして、復活したとき、この女性は「誰の妻になるのか」というのが質問の大意。 イエスさまの答えを読んで、今度はボクが質問したくなった。「・・・次の世に入って死者の中から 復活するにふさわしいとされた人々 は、めとることも嫁ぐこともない。・・・」「では、復活するのにふさわしくない人もいるんですか?」と聞き返したくなるではないか。最終面接があるとして、聞きたいことの一つだ。 それはともかく、神は生きている者の神だから、分かりきったことだが、今、この時、神様に真っ直ぐつながった生き方を貫くことが大事ということになる。それはそうと、指宿からも教皇ミサに出かけた人たちが7名もいる。旅の安全が守られ、主との出会いの巡礼となるように。そういえば、日本でもローマ法王ではなく、教皇と呼ぶことにした。わざわざ呼びかたの変更について報じた。日本の教会がやっと認知された感じだ。 日本のマスコミもやっと同じ土俵に上がってくれた